2017年10月26日~30日、米国サンフランシスコのマリオット・マーキースホテルで開催。参加登録者は1364人、UCバークレーやUCサンフランシスコの取材ツアーが盛り込まれたほか、画期的な遺伝子編集技術を開発したジェニファー・ダウドナ博士ら一線の科学者やジャーナリストの講演も数多く催された。
JASTJからは11人の会員が参加、大学や研究機関で国際広報に携わる人たちの参加も含めると日本からは20人以上の参加となった。JASTJはソウル会議に引き続き夕食会を主催し、会議に参加した日本人同士が親交を深める機会を提供した。
最終日のツアーでレッドウッドの森へ
ー山火事にも負けず、やせた土壌でたくましく育つ巨木たち
平塚裕子
最終日(30日)はツアー・プログラムが用意され、ローレンス・リバモア国立研究所、バイエル製薬会社、カリフォルニア大学デービス校、断層地帯、ボーデーガ・ベイなど15のコースに分かれて、研究所や自然観察スポットに出かけた。
アームストロング・レッドウッド州立公園のツアーに参加したのは30名ほど。ダウンタウンからバスで2時間ほど北に移動したが、途中、10月中旬に起きた大規模な山火事の生々しい痕跡が確認できた。年間降水量は1500mmを越えるものの、そのほとんどは雨期の12月や1月に集中するため、それ以外の時期はかなり乾燥するそうだ。
レッドウッドは別名センペルセコイアともいうスギの仲間。学名はSequoia sempervirensで、sempervirens は“永遠に生きる”の意。その名の通り、樹齢1000年以上の木も珍しくない。特徴的なのはその高さで、100mを越えるものもある。何十メートルという高さの木が林立している姿は圧巻だった。
当日ガイドを務めてくれたのは、生物学と環境学を専門とするUCバークレイ校の教授、トッド・ドーソンさん。彼はカリフォルニアの北西部の海岸に沿って生息するレッドウッドを調べ、霧の影響について新たな発見をした。この辺りは地中海性気候で夏は雨が降らないが、海岸沖の冷たい海水と内陸の熱により霧が多く発生する。木はこの霧から水分を得ていると考えられてきたが、さらに養分を得ていることを突き止めた。海水中には木の栄養となる成分、とくに窒素が含まれており、これが肥料となって木の生育を助けていたのだ。さらに根から吸い上げるだけではなくて、葉から直接取り込んでいることもわかった。
散策の途中、山火事にあって幹が燃えてしまっているのに、厚く水分の多い樹皮部から立派に再生している木も見かけた。5月、6月には森全体が一斉に芽吹くという。萌芽力も強く、倒木の根元から次の世代がたくましく育つそうだ。
針葉樹の森はやせた土壌に育つ。レッドウッドの森が1000年以上も続いているということは、別の意味では、いつまでたっても土壌が豊かにならないのだとも考えられる。決して恵まれた環境ではない場所で、力強くまっすぐに天にそびえている木々たち。紅葉の美しい日本の山々との違いを、改めて感じさせられた。
巨大な寄付を実感したUCサンフランシスコ校ツアー
野口悦
会期4日目はカリフォルニア大学(UC)バークレー校とサンフランシスコ校へのツアーが企画され、キャンパス内の施設見学やテーマ別の講演が設けられた。私は、医学研究の広報を担当しているため、「医療・健康」の研究に特化した研究機関であるUCサンフランシスコ校へのツアーに参加した。
UCサンフランシスコ校の近年の発展は目覚ましく、毎年新たに研究棟が建てられているとのこと。ツアー中何度も、○○ホスピタルや○○バイオハブなど、某SNS企業のCEOらの名前が付けられた建物やプロジェクトを耳にし、アメリカの大学が巨大な寄付により支えられていることを改めて実感した。バイオハブでは、シリコンバレー周辺の主要3大学(UCサンフランシスコ校、UC バークレー校、スタンフォード大学)の研究者らが共同して実用化研究を進める。1プロジェクトにつき、10年間の支援を受けて、研究から実際の医療へ繋げる取り組みを実施している。また、UCサンフランシスコ校では、サンフランシスコ市内の病院からオーダーより72時間以内に患者さんのシークエンス・データを返すサービスも行っており、ゲノム医療も生活により身近なものになっていると感じた。
iPS細胞の開発者である山中伸弥教授(京都大学CiRA)のもう一つの研究拠点であるUCSFのグラッドストーン研究所も、見学コースの一つになっていた。CiRAのモデルとなった、研究室間の壁がないスタイルのオープンラボで、見学した施設の実験設備・機器は、日本の研究室で見られるものと大きく変わらなかった。丁度ハロウィン前だったので、様々なデコレーションがなされ、楽しい空間となっていた。
また、グラッドストーン研究所のディーパック・スリバスタバ博士(心血管疾患研究部門長)による講演では、ヒトES細胞が作製されてから20年が経つが、今までの20年よりこれからの20年で医学がかなり変わると予測。遺伝学、幹細胞に加え、ゲノム編集が登場したことにより、特にこの5年で大きな変化が見られると言う。iPS細胞により、損傷組織の修復の他に、候補薬が効く個体と効かない個体を識別し、さらに副作用の有無をも培養細胞で試験できる、いわゆる「培養皿上での臨床試験」で個別化医療の実現や、製薬企業の復活も期待できる。
気候変動がもたらす悲観的な未来を直視した講演
-データの力と可能性に感動
三輪佳子
2017年10月28日午後に開催された講演セッション” Economic Inequality, Violence, and Life in a Changing Climate(気候変動の中での経済的不平等、暴力、生活)”は、科学・技術に加えて社会保障を仕事の柱としている私にとって、今回のWCSJ2017で最も期待のもたれるものでした。そして、期待は裏切られませんでした。
講演者のソロモン・ショーン氏は、UCバークレーの世界政策研究所(Global Policy Lab)のディレクター。この研究所では、気候変動・世界経済・戦争など地球上のありとあらゆる問題に関する、データサイエンスと数理モデルを用いた研究が行われています。またHsiang氏は、政策決定者への政策提言も行っています。
最初のトピックは、世界各地で増加している熱帯低気圧でした。熱帯低気圧の嵐が去った後には、復興のプロセスが始まります。復興のパターンを大きく分けると、より望ましい側から「創造的再構築」「よりよく復旧」「以前と同様に復旧」「復旧しない」の4パターンです。しかし過去の熱帯低気圧による被害とその後を見ると、現実に見られるのは、最良のケースで「以前と同様に復旧」、多くは復旧にも及ばないのです。
まず、熱帯低気圧の後に最初に発生するのは、健康状態の低下です。ライフラインが破壊され、トイレが使えなくなると、女児の死亡率や死産が増えます。指先でメールを送れる時代になっても、ライフラインが壊れることによる人的/経済的損失は、過去に考えられていたより「15倍は悪い」とショーン氏は語りました。ちょうどWCSJ2017の直前にあたる2017年9月末から10月初めにカリブ海の諸国を襲った「ハリケーン・マリア」は、プエルトリコの過去26年分の経済発展を12時間で台無しにしています。
ショーン氏はさらに、カンボジア革命など誰もが記憶している近過去の動乱が発生した地域では、それに先立って気象の変動があったことを説明しました。その際に、気候変動が経済状況を悪化させるだけではなく社会を不安定にすることも指摘していました。
気温は低すぎても高すぎても社会の生産性を低めるのですが、高すぎる場合には暴力を増加させます。野球のラフプレイが一度起こると周囲に伝搬してゆくのと同じ心理学的メカニズムで、発生した暴力や不安が伝搬していきます。インドでは破産による絶望から自殺が増加し、2016年には6万人が自殺しています。自殺者は、インドの北部と南部に集中しています。いずれも、気候変動の影響を大きく受ける地域です。
気象が社会と経済に与える影響を見積もることは、1940年代には「難しい」とされていました。しかし2000年以後、研究が進んでいます。ショーン氏らは現在、気候変動がマクロ経済や経済的格差の拡大に及ぼす影響を見積もることに成功しています。気候変動は、現在の希少価値で兆ドル単位の経済損失を、米国経済に既にもたらしているということです。
気になるのは、現在の気候変動が続いていくと、地球がさらに貧困で不安定で格差の大きな惑星になってゆく可能性です。人間が住めない地域も増えていきます。ショーン氏が人間の住めない地域が拡大してゆく地球のCGアニメを再生し始めると、100名ほどの参加者は息を飲み、絶句しました。
しかしショーン氏は、「でも、希望を持ちましょう。データがあります。判断することができます。判断を状況に反映することができます。対話も出来ます」と講演を結び、来場者からは大きな拍手が湧き上がりました。
科学博物館でのポップな開会パーティーでアジアの連帯を実感
高橋真理子(朝日新聞科学コーディネーター)
第10回科学ジャーナリスト世界会議の開会パーティーは、「カリフォルニア・アカデミー・オブ・サイエンス」で開かれた。ここは、広大なゴールゲンゲイト公園の中にある科学博物館と水族館とプラネタリウムを兼ねた施設だ。そこが10月27日の夜にジャーナリスト会議参加者に開放された。あちこちに設けられたワゴンで飲み物と軽食が振る舞われ、公式イベントは最初の挨拶だけ、あとは自由に見て回るという、アメリカらしいポップな開会パーティーだった。
言わば上野の国立科学博物館全体をパーティー会場にしたようなものだったが、科博と違って暗くないし、全体が広々とゆったりしている。何しろ、熱帯雨林を経験できる巨大透明ドームが建物の中にすっぽり収まっているのである。この夜はドームの中をワイングラス片手に歩くこともできた。私も入ろうとしたのだが、8時で締め切られてしまい、タッチの差で入れなかった。
出遅れた理由の一つは、ソウルでの第9回世界会議を主催したシム・ジェ・オクさんとキム・チョル・ジュンさんにばったり会ったことだ。プログラム委員として彼らと苦労を共にした私は再会できたことが心から嬉しく、そばにいた参加者(アメリカ人でした)に記念写真を撮ってもらった。
このときシムさんから、ソウル会議のコミッティーメンバーの同窓会を明日の夜にやるからぜひ参加してほしいと誘いを受け、翌日マリオットホテル1階で短時間開かれたこの会にも参加した。ここでは韓国SBS放送局の安英寅(アン・ヨンイン)さんとも再会、私が「重力波 発見!」という本を10月に出したことを話すと、彼も間もなく本を出すと言い、お互いに健闘を称え合うような恰好になった。
サンフランシスコ会議では、JASTJと世界科学ジャーナリスト連盟の共催プロジェクト「スクープアジア」(2013-2015)の参加者たちの活躍も目立った。インドネシアのハリー・スルジャディさんは開会式前日にカリフォルニア大学デービス校で開かれた「持続可能な農業」をテーマにしたワークショップを仕切り、同じくインドネシアのディナ(名字は難しいので省略)さんは、全体会議「権威主義とニセ科学の中のサイエンスジャーナリズム」でスピーカーを務めた。彼女とも開会パーティーで会ったときに記念写真を撮った。
サンフランシスコ会議でアジアの仲間たちの活躍ぶりに接し、連帯感というものはこうした経験を通じて育まれていくのだなと実感したのでした。