科学ジャーナリスト塾第21期(2023年9月〜2024年2月)塾生の作品

 JASTJでは、いかにして科学を社会に伝えるかを学び合う「科学ジャーナリスト塾」を毎年開催しています。第21期の塾生がそれぞれ独自の切り口で取材をして制作した作品を紹介します。

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科学の目で感性を捉える
~森と人をつなぐプロジェクトの挑戦~ 

中川 僚子

中村和彦講師

 ストレス解消や癒しを求めて山や海へ出かける 人は多いだろう。医学的にも森林浴が人の免疫力や治癒力を高めることが明らかとなっている。一 方で、自然環境学の視点から、森林空間を活用し た多彩なプロジェクトに取り組み、森と人とのつながりを学術的に記述する方法論を探究している人物がいる。東京大学・新領域創成科学研究科に 中村和彦講師(39)を訪ねた。

オンラインでつなぐ(サイバーフォレストプロジェクト)

原生の森に設置したロボットカメラ (画像提供 中村氏)

 「サイバーフォレスト」とは、一口に言うと森のライブモニタリングシステムのことだ。ライブ機能とアーカイブ機能を合わせ持つ情報 通信技術である。中村研究室では、オンラインで森と人をつなげ、地球規模の問題を共有する可能性を探っている。
 具体的には、原生の森にロボットカメラを設置して、映像と音声をリアルタイムで配信・記録する。オンラインに接続するだけで、夜の森の生き物の足音を聞いたり、森のフェノロジー(生物季節)(注1)を調査することができる。
 「音には風景がある」とする「サウンドスケープ」(注 2)という概念がある。人が感じる自然の音や生活の中の音を社会、歴史、文化の「風景」として捉え、現代社会の課 題解決につなげる考え方だ。サイバーフォレストは、いつでもどこでも遠く離れた森のサウンドスケープを体感できるシステムと言える。
 プロジェクトの始まりは1995年。創始者は元東京大学教授の斎藤馨氏だ。中村氏は、東大の学部生だった2003年にプロジェクトに加わり、現在は代表として膨大なデー タを管理する。

音楽でつなぐ(林内楽プロジェクト)

 「林内楽」(りんないがく)とは、中村氏の造語だ。室内楽に対して森林の中で音楽を 演奏したり鑑賞することを意味する。中村研究室では、2020年から林内楽が森と人をつな ぐ媒体となる可能性を調査している。
 例えば、屋内のコンサートホールと森の野外ステージで同じプログラムの演奏会を開いたところ、森で演奏を聴いた人々から「鳥のさえずりや木々のにおいを感じた」と回答があったという。風にのって広がる演奏のハーモニーが、森全体の音に耳をすます感覚を促 したのだろう。森の音楽会で鳥のさえずりが聞こえてくる感覚は、森のレンジャーから「ほら、〇〇が鳴いていますよ」と教えられるのとは違うはずだ。自らの感性が捉えた森 の音は、心身に直結した経験となる。
 音楽の世界には自然の情景を現した作品が多くある。現代社会において、音と空間を共有する音楽会という活動が、森と人を新たな形でつなぐ可能性が見えてきている。

林内楽コンサート~東京大学富士癒しの森研究所~(画像提供 中村氏)

 感性の価値を科学で探る

居室のテーブルとイス

 「人が直観的に評価している事柄にも学問としての価値がある。音楽のような芸術には、科学が及ばない方法で自然を捉えている可能性がある」と中村氏は主張する。一方で、心理的な体験や感性による表現を既存の科学方法論で記述することは難しい。仮説を 立てて何かを「問う」という行為そのものが、被験者の心理や感性に影響を与えてしまうからだ。
 現在、中村研究室では、演奏会の録画から奏者や聴衆の表情や動作など、無意識下で表出する非言語情報を数値化する技術を開発している。また、質問紙やインタビュー調査での効果的な問いの立て方を研究中だ。人文科学的 なアプローチも視野に入れ、人が森と新たな関係を築くプロセスを学術的に論じる方法論を探究し ている。

 「課題へのアプローチがまだ見えていない分野 にこそ魅力を感じる」と微笑む中村氏。とかく研究の「成果」が重視されがちな学術界で、中村氏は原生の森を進むような冒険心を持っているのだろう。居室には大きなモニターと、長野県産の切り株のテーブルセットがある。技術と自然が同居する空間でコーヒーの香りに包まれながら、研究の森を案内して頂くインタビューとなった。

(注1)フェノロジー:生物季節学とも訳される。芽吹きや開花など、自然界で季節的におこる動植物の時間的変化と気候や気象との関連を研究する学問。
(注2)サウンドスケープ:カナダの作曲家マリー・シェーファーによって提唱された概念。風景には音が欠かせないという考え方。

中村 和彦 氏 (東京大学大学院 新領域創成科学研究科 自然環境学専攻 自然環境景観学分野講師) 森林科学・教育学を基礎として、感性的認識と情報通信技術により、自然環境と人間社会との現代的な関係性について多角的な実践研究を行っている。

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多様化する研究者スタイル
―研究の道に進むか迷っているあなたへ―

中小路菫

 理系学生の皆さんであれば、将来について考えるとき、研究を続けるか、それとも全く別の世界へ進むのか迷う方が多いのではないだろうか。
 もし「研究」は好きだが、「自分が研究者として活躍できるようなフィールドがあるのか」という不安をお持ちの方がいれば、是非紹介したい研究者がいる。

無縁の業界に飛び込んだ「微生物のプロデューサー」

上野氏

 株式会社アルケミックラボ代表の上野嘉之氏である。筆者は彼に出会ったことで「研究者」に対するイメージが大きく覆り、民間企業での研究の道に進むことになった。彼は自分のことを「微生物のプロデューサー」と例える。  
 上野氏が研究者の道を歩み始めた1980年代は、日本が国家単位でバイオ産業の推進へと舵をきりつつあった過度期であった1)。そのような潮流の中で、上野氏はゼネコンの研究機関の微生物部門の社員第1号として入社した。
 微生物やバイオ技術とは無縁の建設業にも、環境という接点でバイオ技術が活かせると考えたそうだ。

 

様々な角度から研究を推進

 上野氏は、大学で学んでいた応用微生物学2)の知見を基に微生物燃料電池3)、バイオガスリアクタ4)などを開発、微生物たちの活躍の場を広げた。入社当初は、彼にとって異分野の土木や建築を専門とする社員へ自分の研究を説明するのは大変苦労したそうだ。しかし、基礎研究の結果を技術に昇華させるには必ず異分野との連携が必要となる。研究者には研究を推進する力とともに異分野との仲介者=翻訳者としての能力も要求されると感じたらしい。
 また他研究機関への出向や、海外の大学との共同研究、大学での講義等も受け持ち、社内だけでなく、橋渡しの役割と技術の普及も行なってきた。結果として当時はまだ認識されていなかった「環境バイオテクノロジー」の創成と発展に貢献していたのだ。
 上野氏はゼネコンを退職後、「株式会社アルケミックラボ」を設立、「研究コンサルタント」として、ゼネコン時代とは別の角度から微生物学の研究を続けている。また最近では微生物の機能をもっと一般社会に認知してもらうための科学コミュニケーション活動にも注力している。
 社名は、Alchemy(錬金術のように価値がないものから価値があるものを創出する)に由来する。発酵など微生物によるモノ作りで新な価値を創造したいという思いが込められている。

微生物学は多分野をつなぐ架け橋になれる

 微生物は、私たちの体内、土壌、廃水処理などあらゆる場に存在し、働いている。日本酒や味噌などの発酵食品は微生物たちの成果物である。しかし、微生物がアートにかかわっていることは、あまり知られていないだろう。
 例えば「藍染」という日本固有のアートも微生物の働きによる技法である。インディゴの発色には微生物反応が関与しているのだ。現在、上野氏は藍染に関わる微生物の機能解析を通して、バイオとアートを融合した研究など、未知のコラボレーションを探求し、微生物たちの活動の幅を開拓している。
 上野氏はこう語っている。
 「土壌、海洋、大気、腸内細菌など、自然界の多くの物質循環に微生物が関わっている。その歴史は数十億年に及ぶ。そう考えると地球は微生物の惑星なのだ。微生物学は、食品や医薬品製造だけでなく、環境やアートといった衣食住に関わる様々な分野と繋がっている。だから異分野融合のきっかけにもなりやすい。歴史的に見ても学際領域こそ発見の宝庫なのだ」

研究者の新たなスタイル

 研究ができるのはアカデミアや研究開発部門を持つ企業だけではない。最近では研究者によるベンチャーやスタートアップも目立つようになってきた。テーマを自ら提案し、自身で未知の分野に飛び込んでいく気持ちがあれば、どこにいても研究者。そこには必ずオリジナリティがある。なんとなくでも「研究」が好きという思いがあれば、自分がどのように「研究」に関わることで、一番自分らしく、生き生きとしていられるのか考えてほしい。 上野氏は微生物の可能性を広げ続ける研究者であり、広報活動も行うプロデューサーである。
 「誰もまだ手を付けていない新しい分野を切り開いていくことに挑戦することが楽しい。研究者ってその人の生き方や生き様」と語った。

注釈

1)1980年代は、下記のように省庁内に様々なバイオ関連の部署が立ち上がった。
   1982年通産省バイオインダストリー室設立
   1983年厚生省ライフサイエンス室設立
   1984年農水省バイオテクノロジー室設立
2)応用微生物学
  微生物の機能を理解し、応用する学問
3)微生物燃料電池
  燃料電池の触媒として微生物を用いることで、有機物から直接電気を取り出すことができ、 汚泥の発生が非常に少なく、発電機のいらない電力回収型廃水処理プロセスとして21世紀の バイオマスエネルギー転換のカギを握る技術として期待されている。
4)バイオガスリアクタ
  生ごみなどの有機性廃棄物を微生物が分解し、さらに分解過程でメタンを主成分とするバイオガス を生成する技術。回収したバイオガスや電気や熱に利用することができる。有機性廃棄物の減容化 とともに非化石燃料であるバイオガスを生成することから、脱炭素社会の形成に貢献する技術とし て注目されている。

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『算数・数学の自由研究』作品コンクール
身近な課題を学びのきっかけに

川本絵莉

 夏休みの自由研究で、算数や数学をテーマにしたことはあるだろうか――。理科や社会は想像できても、算数・数学は想像できない人も多いだろう。実は、小学生から高校生まで、算数・数学をテーマに応募できるコンクールがある。 (財)理数教育研究所 理事長 岡本和夫氏 が主催する「塩野直道記念『算数・数学の自由研究』作品コンクール」だ。今年度は第11 回を迎え、1万5699 件の応募があった。昨年12 月17 日には、その中から優秀作品が選ばれ、表彰式が開かれた。
 「好きな教科は算数・数学ではなかったけれど、今回を機に算数・数学にも取り組んでいきたい」今年度の表彰式で、参加者の一人はこう話した。優秀作品に選ばれた子供たちも、実は算数が好きな子ばかりではない。同研究所常務理事の山本吉延さんも、子供の頃は算数が嫌いだった。小学生のとき、計算ドリルをやらされたり、問題集を解いて答えを出したりするばかりで、日常生活で何の役に立つのか分からなかったからだ。今算数が嫌いな子供たちも、同じような理由なのではないか、と山本さんは自身の経験から分析している。そのため、コンクールでは、身の回りの問題からテーマ設定をした研究を求めている。「これで算数・数学を好きになってくれると期待している」と山本さんは話す。
 過去に応募された研究のテーマは様々だ。第一回コンクールでは、太宰治の『走れメロス』の文中から主人公メロスが走っていた距離や時間を推測し、走る速さを計算した研究が最優秀賞に選ばれた。研究の結果、「メロスはまったく全力で走っていないことが分かった」という。算数が苦手な人にとっても分かりやすく面白いので、その後のコンクール参加者にも大きな影響を与えたようだ。
 算数・数学の研究と言っても、算数・数学そのものを研究するものばかりではない。研究があるから課題を探すのではなく、普段から身の回りのことに目を向けて疑問に思ったことを探究すれば、算数・数学が苦手でも研究はできる。だから、子供たちには「身の回りのことや社会のことに関心を持ってほしい」、学校の先生には「関心を持つきっかけをたくさん与えていってほしい」と、山本さんはいう。
 学習指導要領では、「算数・数学を学ぶことは、問題解決の喜びを感得し、人生をより豊かに生きることに寄与する」 (注)ということが重視されている。問いと答えが初めからある授業だけではなく、問題解決をさせるような授業があれば、子供たちはもっと算数が好きになるのではないか。コンクールは、学校での指導に対するメッセージでもある。学校の先生にも関心を持ってもらい、学校教育に一石を投じることを目指している。

(注)中央教育審議会 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について答申 文部科学省 2018 12 21.
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/01/10/1380902_0. pdf  参照 2024 2 19)

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理想的な研究に向けて−「研究のグレーゾ ーン」をいかに考えるか

小長井敬介

 科学は、長い間、研究者たちの真摯な姿勢による探究の積み重ねにより発展してきた。しかし 20 世紀後半以降、国内外で研究不正事件が頻発するようになり、日本では 10 年前の「STAP 細胞事件」等をきっかけに、政府、大学、科学界の研究不正対策が強化されてきた。データをごまかす、他人の成果を盗用するなど、わかりやすい「不正」の他に、「研究成果をいくつもの雑誌に発表する二重投稿」、あるいは「研究には直接貢献していない研究者の名前を論文に加える」など、従来のルールのみでは単純に「クロ」と判断しにくい不正のケースも増え、その“グレーゾーン”にどう対処するか、新たな課題になっている。東京大学の大学院生が試みる新しい研修プログラムを追った。

 「今日は、みなさんに、大学の研究倫理委員会メンバーになり、次々とあがってくる研究のグレーゾーンの報告について良いものか悪いものかを判断してもらいます。」
 東京・お台場地区で 2023 年 11 月 18 日に開催された「サイエンスアゴラ」でのワークショップの一コマである。サイエンスアゴラは、科学と社会をつなぐことをテーマに、小学生から研究者までオンラインも含めて 1 万人以上が集う祭典。多くの企画が開催される中、このワークショップを目指してきた人たちも含めて、研究倫理に関して関心の高い大学生や研究者、大学職員などが参加した。珍しいゲーム方式のセッションとなり、「(悩ましい事例が多く、)判断にはとても迷いました・・・」、「(研究現場での様々な状況を考える必要があり、)頭を使って難しかったけれども、とても面白かった」という参加者。にぎやかな議論が会場に広がった。

QRP GAME を用いたワークショップの様子(テレコムセンター(東京都)、2023 年11 月18 日)

・カードゲームによる研究倫理教育

 研究活動には、他人の研究を盗用しないなどのルールがあるが、不正かどうか明確化が難しい 領域”グレーゾーン”も多く、「疑わしい研究行為(QRP)」と呼ばれる。ワークショップを主催した東 京大学大学院 学際情報学府の大学院生、大空理人さんは、「QRP GAME」というカードゲームを 活用して、参加者が気軽に対話できるユニークな手法を開発した。
 ゲームで参加者は、一人ひとりが大学の研究倫理の委員会メンバーを演じ、「疑わしい研究行 為(QRP)」に関するさまざまな事例報告を受け、「理想的」から「最低」まで、5 段階で判断していく。 自身の判断がテーブルの他のメンバーと同じであれば、自身に得点が入るルールだ。
 例えば、「出版済みであることを隠して、同じ論文を別の研究誌に投稿した場合」は、どうか?
 このケースでは一般に「二重投稿」と呼ばれる研究の不正行為に当たる。参加者は最低、もしく は最低に近い評点を付けた。類似の実例として、「論文の共著者としてもよいのは誰か」、「誤解を 生むような研究データの計算方法」など、90 分間で幅広な15 事例を考え、議論して行く。ゲーム が進むと、意見の分かれるケースも多くなり、判断が一致して得点できることも難しくなる。得点と ともに、参加者は一人ずつ判断の理由を提示し、それをもとに多様な意見が交わされる。

ゲーム中の様子:参加者が事例を判断し意見交換する(テレコムセンター(東京都)、2023年11月18 日)

・自身の経験を踏まえたカードゲームに

 日本の研究現場では、10 年前から、相次ぐ不正事件を受けて研究倫理教育が強化され、「研究倫理」を必修科目とする大学院も多い。
 大空さんが大学院で受けた授業では、経験豊富な先生が研究現場での事例を示し、グループ でディスカッションするなど工夫された内容だったが、「私はグループでの議論が得意ではなかっ たので、私の研究テーマである教育工学の<ゲーム学習>という方式を導入すれば、必ず発言 の順番が回ってきて、対等なコミュニケーションができると考えたのです」と、カードゲームの手法 を導入したきっかけを話す。大学院での研究テーマがまさにゲームを通じた教育・学習であったので、研究倫理教育に活用できるカードゲームを独自に開発したのだ。
 「“アナログ”なカードゲームは、ルールを自身で理解して、戦略も考えなければなりません。対 面で参加者どうしのやりとりをすることで得られる情報量も多いので、思考を前に進めるきっかけ になります。事例を差し替えれば、研究分野や参加者のレベルに応じたアレンジができ、幅広く活 用してもらえます」と、カードゲームの可能性を語る。
 現在のゲームは、大学院の90分授業用で、普段ゲームをしない人も取り組めるよう、事例は実 際の研究現場に即したシンプルな文章とし、また、カードのデザインも親しみやすいものに工夫す るなど、大空さんならではの気配りがちりばめられている。

親しみやすいカードゲームのデザイン (テレコムセンター(東京都)、2023 年11 月18 日)

 大空さんは、このカードゲームを通して、知識として不正行為を知るだけではなく、状況に応じて 倫理的に判断する力を身につけ、新たな問題に対しても、一人ひとり判断・行動できる力を養って ほしいと願う。 「他者の価値観や、社会からの視点にも目を向ける機会としてもらえれば、よりよい研究成果のア ウトプットと科学界全体の発展につなげることができると思います」と語った。

■研究現場でのグレーゾーンへの対処に課題(解説)
 科学研究の資金は、国民からの信頼と付託に支えられており、研究不正行為は社会の信頼を 容易に失わせる。政府は2006 年に「不正行為への対応」ガイドラインを策定したが、2010 年代に 頻発した研究不正事件が社会問題となり、政府の不正ガイドライン見直しが進んだ。その結果、 研究データの「ねつ造・改ざん」や、論文の「盗用」についてはルールが明確化され、大学の研究 倫理教育などを通じて、研究者の認識も広まってきている。
 一方で、従来のルールでは判断が難しい「疑わしい研究行為(QRP:Questionable Research Practice)」が近年、問題となっており、文部科学省公表の不正行為事例でもQRP 件数が増えて いる。代表的なものとして、論文の「二重投稿」や「著者の不適切な表示」などがあり、この他にも 自身の過去論文を不適切に再使用する「自己盗用」や論文発表後に適切に「資料やデータを保管 しない」ことなど多岐にわたる。これらは研究分野ごとの慣習の違いなどもあって一律の線引きが 難しい面もあるが、研究者自身がそれぞれの状況に応じて判断し、ルールを設定する意識・能力が求められる。研究活動への信頼を維持するためには、この研究者の自律能力の育成も欠かせない。

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考えることが楽しくなる数学
~ 一人ひとりのありのままを認める ~

 篠崎 菜穂子

 デジタル社会で重要な数学力だが、苦手意識をもつ子どもも少なくない。子どもたちが前向きに数学を学ぶにはどうしたらよいのか。栄光学園中学高等学校の数学教師として長年教壇に立つ井本陽久先生の授業では、子どもたちが夢中になって問題に取り組んでいる。今も全国から見学が絶えない先生の教室を訪ねた。

井本陽久先生(2023年12月取材)

手持ちの知識で考える

 井本先生は昨年4月に「合同会社いもいも」を立ち上げた。今年3月までは栄光学園の講師も務めながら、「井本数理思考教室」をはじめとした教室やフリースクールを開講している。
 「井本数理思考教室」は、オリジナル教材を使い、数理の本質を追求していく教室だ。中学生の教室は中1から中3までが同じクラスで学ぶ。そのため、小学生までの手持ちの知識やスキルで取り組め、かつ、数学者が取り組んでも熱中できるような問題を扱う。一般的な学びが、この先必要になるかもしれないものを想定して、今のうちに手持ちを増やしておくことが目的であるのに対し、今ある手持ちでなんとかすることを大事にしている。たとえ、方程式を知らなくても自分なりに突破する方法を考えることを大切にする。
 実際に中学生の教室を見学した。井本先生が問題の内容を説明すると、生徒たちは思い思いの場所に散らばり、すぐに考え始めた。この日の問題は、日本地図の都道府県を県同士の隣接関係は保ったまま、すべて長方形で表すという問題。しかも、本州や四国などの地方の外枠も長方形で表すという難問だ。

隣接関係がわかりにくい県は拡大して書かれている

 定規を使い四角形に分ける子、地図の上に白紙を重ねて四角形を書く子、隣接する県の数で場合分けをする子など、さまざまだ。ほかの生徒と考え方を共有する子もいれば、一人で考え続ける子もいる。

思い思いのスタイルで自由に考える生徒た ち

問題は1つのきっかけ

 この問題は、生徒たちのアイデアから生まれた。講師の塩谷悠馬先生が、正方形のマス目にルールに従って丸を入れるパズルを出題した。すると、生徒が「日本地図でもできるよね」と提案した。それをきっかけに生徒たちから新たな問やアイデアが生まれ、今回の問題に行きついたそうだ。1つの問題を投げかけると、予想をはるかに超えた発想が生まれる。先生たちはそれを拾い上げて授業を作っていく。
 授業の前に、週1回、定期的に開いている教材開発会議を見学した。そこで、この問題を更に発展させた「長方形にできない場合の条件」についての議論があり、大学で学ぶグラフ理論の話にまで発展した。大学レベルの数学でも取り組める問題なのだ。

解答のプロセスをみんなで共有

 井本先生は「できる、できないで評価をして学びをしたら、自分のやり方でやると間違えるから、型通りのやり方になってしまう。『学び』をみんな嫌がるのは、自分自身であってはいけない場だからというのはあると思う」と話す。
 学校で教えているときから、生徒の解答にはすべて目を通し、一人ひとりが自分なりに考えたプロセスを皆で共有することを大切にしてきたそうだ。人は自分が考えもしなかった解答のプロセスを見ると感動する。誤答も、絶対に合っていると思って出した解答が間違えていたとき、「え?!」という驚きが起こる。それも周りと共有することで、無意識に思い込んでいたことを深掘る作業が始まる。

生徒一人ひとりと真剣に向き合う井本先生

自分のやり方で考えられる場所

 教室に通う子どもたちは、「考えさせてくれるから好き」「学校のレベルや知識の量が違う子とも同じ問題に挑戦できるのが嬉しい」と話す。授業が終わっても、子どもたちは考えることをやめない。自分のやり方で考えられることが保証される環境があれば、本来持っている思考力を発揮し、学ぶことが楽しくて仕方がなくなるのだ。
 井本先生は言う。「ありのままの自分で出した解答で心を動かし合う経験を通して、自分が自分でいいんだと思え、お互いを認め合い、人が違うっていいなと思えることに繋がるのです」

【関連リンク】
「いもいものホームページ」 https://imoimo.jp/

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恐竜への憧れが育む、これからの大学の在り方

                            及川知穂

 大学や学部の統廃合の推進や運営交付金の減額など、国公立大学の運営にとって厳しい 状況が続く中、各大学は学生を継続的に獲得する目的で、様々な戦略立案を進めている。その一つとして、福井県立大学で進められている恐竜学部という新学部設置の計画が挙げら れる。県立の恐竜博物館を有する県の強みを活かした構想だ。恐竜学部では何を学ぶことができて、どのように大学の存続に貢献し得るのか。今回、その構想について福井県立大学恐 竜学研究所所長の西弘嗣さんにオンラインでインタビューした。

図 1 福井県立大学恐竜学研究所所長 西 弘嗣さん (*1)

新学部での学びの魅力に迫る

 新学部が設置されるからには、そこでは他の学部では学べないことが学べることが期待 されるだろう。そこで、恐竜学部で学ぶ意義や魅力などについて聞いた。

― 恐竜学部でしかできないような研究や教育として、どのような内容を想定していますか。

 名前から恐竜の研究だけをする、というイメージを持たれるかもしれません。しかし、他の理系分野の学問と同様に、恐竜学にも古生物学、地質学、環境学が含まれていて、物理化 学から生物学にいたるまで、自然科学全般をある程度基礎知識として持っている必要があります。自然科学を学ぶことは防災や土木建築、環境保全の分野など、産業界で幅広い応用が効きます。そこで、我々は特に野外を中心とする自然科学教育をすることで、自然の状況 をトータルに把握して温暖化などの課題に対応できるような人材を育成することを目的に 設定しています。その中の一部が、恐竜という福井県のコンテンツを支える研究者になるだ ろうと考えています。

 もう一つ、現在はデジタル科学の重要性が増しています。古生物学の分野でも、デジタル技術が扱えないと新しい研究はほとんどできません。そこで、デジタルデータの取り方、処理の仕方、その活用法を教え、デジタル人材の育成にも貢献したいと考えています。

― それでは、幅広い自然科学分野を学びながら恐竜も学べる、というところに他の自然科 学系の学部との差別化のポイントがあるということなのでしょうか。

 今、調査に時間がかかることから、地質学の分野では野外に行って卒業論文を書けるところは全国的に非常に少なくなっています。ですから、野外での活動を中心に据えている点で差別化につながっています。また、生物系でデジタル処理を専門的に学べることも恐竜学部の強みになると思います。

― フィールドワークに力を入れたいとのことでしたが、フィールドワーク先としてはどの ような場所を想定しているのですか。

 恐竜学部の施設は県立恐竜博物館に隣接した、自然に囲まれた立地に建設される予定で、 題材はいくらでもあります。海外の共同研究者との共有発掘現場での実習も行いたいと考えています。

図 2 フィールド調査のイメージ (福井県立大学提供)
福井県には、古生代のシルル紀から中生代、新生代までの地層が残されている。(*2) 雪深い土地柄のため、県内での実習は夏期に集中して実施したいとのことだ。

 幅広い自然科学の分野を「恐竜」というテーマの下、一つの学部で学べるような統合を試 みている点や、フィールドワークやデジタル処理の経験を積める点が恐竜学部の魅力と言えるだろう。具体的には、フィールドワークでは化石発掘や化石のクリーニング技術、デジタル処理教育の分野では古生物の3Dモデル構築の技術などが学べることが打ち出されてい る。さらに、県立恐竜博物館との連携を強化することで博物館展示のデザインや案内の経験 を積める環境の整備も予定されており (*3) 、恐竜に関心がある人にとってはまさに理想的なカリキュラムが用意されつつある。

設立構想を通じて実現する地域貢献

 恐⻯を中⼼に、⾃然科学に対する関⼼が追究できる環境を整えることはもちろん、社会に 貢献する⼈材育成を⽬指しているということから、さらに、恐⻯学部が想定している社会貢献の形についても尋ねた。

― 設立に対して地域住民からのリアクションなどはあるのでしょうか。

 さまざまな意⾒を頂いておりますが、賛成の声や期待の声の⽅が⼤きいという気がして います。
 具体的には、建設業や測量、情報産業の分野の関係団体と情報交換した結果、⼈材や共同 研究先を必要としているという意⾒がありました。また、キャンパスが建設される予定の勝⼭市で実施している、⾼校や中学校の探究学習⽀援やPTA講演会でも学部設⽴に好意的な 反応が得られました。

― 地域貢献を目指しているとのことでしたが、恐竜学部を卒業した学生には県内や地方 に留まってほしいという気持ちはあるのでしょうか。

 学⽣が都会に出たいということを⽌めることはできません。そこで、いかに地元に残って いただける魅⼒があるということを打ち出せるかを、⼤学全体だけではなく県全体として考えなければいけません。我々は公⽴⼤学ですから、当然、そのことを視野において、どのような地⽅貢献ができるかということを産官学で考えなければいけません。

 例えば、県の中で恐⻯を使った産業が起こせたら、県内に定着する⼈が増えてきます。ある いは、恐⻯を趣味に持って、福井に住んでもよいと思う⼈が増えてきます。そのような⼈が増えてくることも新たな⼈の定着につながります。⾊々な知恵を出しながら地域貢献に興 味のある⼈材をどれくらい集められるか、これからの教育機関に求められていると思いま す。産業を興すことも地域貢献になります。

 今回のインタビューを通じて、恐⻯学部の設⽴構想が地域貢献の精神に根ざして進めら れている様⼦が浮かび上がってきた。⼤学存続の鍵は、⼤学の事業を⽀援してくれる⾏政や 企業に貢献する視点を忘れないようにすることにあるのかもしれない。
 なお、恐⻯学部は2025年4⽉に設置予定であるが、現段階では名称やカリキュラム等の 内容は仮称・構想中である。今後は、⽂部科学省への認可申請を⾏い、その結果が伝達されるのは、早くとも今年の9 ⽉である。恐⻯学部設置の計画が実現することを楽しみにしたい。

【⻄ 弘嗣 (にし・ひろし)】
九州⼤学⼤学院理学研究科博⼠後期課程修了。理学博⼠。北海道⼤学理学研究院教授、東北 ⼤学学術資源センター⻑などを経て、2020 年から現職に就く。古⽣物学、地質学、古環境 学を専⾨とし、研究活動では有孔⾍の微化⽯や同位体による地層の年代決定や地球の環境 変動を明らかにする研究に取り組んでいる。

【出典】
*1 福井県⽴⼤学恐⻯学研究所HP https://idr-fpu.jimdofree.com/
*2 「公⽴⼤学法⼈福井県⽴⼤学古⽣物関連学部の設置に関する有識者会議」の提⾔を踏まえた⼤学としての新学部構想 (2022年) https://drive.google.com/file/d/16IVyueA1dutnFrzvW5QmumPOPERfNRN-/view
*3 福井県⽴⼤学恐⻯学部HP https://dinofaculty.jimdofree.com/

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2025年大阪・関西万博にみる未来の健康社会

松岡佳緒里