第22期科学ジャーナリスト塾の取材実習最終回は、11月2日、東京都大田区の大井食品ふ頭に停泊中の南極観測船「しらせ」に乗船した。まさに「百聞は一見に如かず」の実物の迫力と現場の空気を体感する実習となった。
あいにくの雨模様だったが、品川駅からのバスを降りて、コンテナ専用トラックが行き交う道を5分ほど歩いた先に、鮮やかなオレンジ色の船体が見えると、「あれだ!」と胸が高鳴る。間近に仰ぐ威容に圧倒されつつ、塾生14名、塾関係者7名が「しらせ」前に集合した。ノーベル化学賞受賞者の白川英樹先生が「元塾生」という立場で、今回もご夫婦で特別参加された。
舷梯を昇ると、乗員である自衛隊員たちの礼儀正しい挨拶に迎えられ、南極観測船「しらせ」が海上自衛隊の「砕氷艦」であることを実感する。まずは食堂に集まって、齋藤一城艦長より概要説明を受けた。
1956年に国の事業として南極観測隊の派遣が始まった頃は、海上保安庁が輸送を担っていた。一旦打ち切られた南極地域観測事業が1965年に再開された時、輸送は防衛庁(当時)が担当することに決まった。砕氷艦「ふじ」、初代「しらせ」の後継として、現在の「しらせ」は2009年の就航以来、南極観測に協力してきた。全長138m、全幅28mの巨大な船体は、世界最高クラスの砕氷能力を誇り、厚い海氷に囲まれた昭和基地への物資輸送やトッテン氷河沖のような未知の海域での観測に活躍している。
食堂を出ていよいよ艦内の見学へ。長い通路を辿り、建物5~6階分に相当しそうな階段を昇り降りする。
大型ヘリコプター2機を搭載できる格納庫では、機内にも入らせてもらった。10月19日に国立極地研究所(以下、極地研)の倉庫で見た、ヘリコプターで運べるサイズのコンテナを最大4トン積むことができ、昭和基地に空輸する。
航海の指揮を執る「艦橋」には、操縦装置や計器類が並び、向かって右手の艦長席には赤のカバー、左手の副長席には青のカバーがかかっている。
南極の暴風圏を指す「吠える40度、狂う50度、絶叫する60度」を示した地図を眺めて荒れ狂う海を想像する。
観測隊が使用するラボでは、極地研広報室長の熊谷宏靖さんが説明にあたった。船の揺れで倒れないように機材はすべて固定されている。これから搬入される機器も多いようだ。ラボには海洋観測用のCTD採水装置(CTDはConductivity=電気伝導度、Temperature=温度、Depth=深度の略。これらを連続的に測定できるセンサーとボトルをセットし、測定しつつ好きな深度で水を採取できる装置)があり、「このラボから出して、自衛隊に預けてワイヤーとつないで、観測に下ろしてもらう」とのことだ。船の動揺がある中での重量物の取り扱いなど危険な作業が伴うため、訓練を受けた「しらせ」乗員たちの支援が欠かせない。
再び食堂に集まって質疑応答が行われた。この日も塾生たちの活発な質問が続いた中で、とくに印象に残ったのは、観測隊と自衛隊の連携に関するやり取りだ。
塾生から「観測隊との連携で困ることはないか?」と問われた齋藤艦長は「困ることはですね…」と言った後、一呼吸置いて「ないです」と答えた。すると、極地研の熊谷さんが「困るであろうことを私が答えます」と発言。観測隊は、様々な観測項目の実施時期や優先順位を現場で判断する必要がある。「観測隊はフラットな組織だが、意思決定をきちんとしないと、船としては困るだろうと思う」と熊谷さんは語った。観測隊の決定が、「しらせ」の移動先やヘリコプター運用のタイミングなどに関わるからだ。
2つの組織の連携という人間的な営みに関わるとっさの発言の空気感は、オンラインではわからないだろう。現場取材の意義が強く感じられ、観測隊と自衛隊の協力関係に感銘を受ける場面だった。
「しらせ」に実際に乗るという貴重な機会を得た塾生たちには、各々有意義な発見と学びがあったのではないか。極地研と「しらせ」乗員の皆様のご尽力に厚く御礼申し上げたい。
文:井内千穂
写真:都丸亜希子、井内千穂