インタビューを終えて

 政府、国会、民間の各事故調の代表者へのインタビューを終えて、再検証委員会に参加したJASTJの会員9人が何を感じ、何を考えたのか、それぞれの思いをまとめた。

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肚に一物 背に荷物

 福島原発事故の調査報告書は、それぞれ「肚に一物 背に荷物」で書かれて居ます。再検証委員会の役割の一つは、報告書の「肚」にあるものを明らかにし、今後の対応如何を検討する事です。ところが、黒川委員長は、それを相手に語らせようとするのでは、ジャーナリズムが「権力へのウォッチドッグとしての役割と責任を果たして居ない」事になると、厳しく批判されました。
 再検証委員会は、黒川委員長のご批判に応えるべく、自らの背に担うべき荷物を的確に判断し、然るべき目的地まで運ばねばなりません。その内容をJASTJの組織的意思として決定出来ない場合でも、委員各自はその持てる能力と果たすべき役割に応じて着実な歩みを進め、小出五郎前会長の遺訓である「福島を風化させるな」を実践すべきでしょう。例えば、電気学会は、原子力発電の有無に拘らず、一般の人々が安心して安全に電気を無駄なく使う生活を送れる様な「共同体」が、一般の人々と専門家との対話を通じて作れないかと、その道程の調査研究を始めています。(荒川文生)


再び祭壇へ這い上がるか

 原発はかつて科学でも技術でもなく、宗教や信仰だった。私が大学の原子力学科に入ったころ、教授たちは「原発は絶対に事故を起こしません」と言っていた。どうも冗談ではなく本気らしい。だから当然、事故に関する授業や研究なども一切ない。文字通りの「想定外」で、原発とはそういうものだった。
 しかしそもそも、そんな絶対的な完成品なら、もう何も学んだり研究したりする必要もない。あるいは失敗だらけの自分が貢献できるものもない。仕方ないな、と進路を変えた。
 もちろん原発はただの未熟な技術だから、事故は当然いつか起きる。ボイラーや飛行機の進化となんら変わらない。多大な犠牲を強いた福島第一原発によって、原発は宗教や信仰の座から引き下ろされた。だが完全に引き下ろされたわけでもなく、いまや再び、祭壇の高みへと這い上がりそうな気配だ。
 今回のインタビューを通じて、三つの事故調が出したさまざまな建設的提言が、放置されたままだということが分かる。祭壇から、人知の声に耳を塞ぐつもりなのか。(伊藤隆太郎)


それぞれの事故調はかく語りき!

 3つの事故調インタビューで、最も印象に残った事柄は次のようである。
まず国会事故調であるが、原発に対する安全対策が進まない要因として「日本人の文化的背景」を掲げ、中高大学における教育、さらには専門の細分化による自由で幅広い視野の欠如、流動性を欠いた会社や研究組織などを指摘。さらに、「世論」を先導すべきジャーナリストを含めた知識人の役割不足にも苦言を呈した。
 政府事故調は、事故の原因を明確にするのに検証実験を主張したが、予算を盾に一蹴されたという。また、原発のような巨大技術を開発の苦労なしに手に入れてしまったため、事故対応に手が回るまでに至らなかったこと、さらに原子力保安院をはじめ組織における権限や責任の所在があいまいで責任を問えないことを指摘。
 民間事故調は、最も中立的な立場から、例えば事故の初期対応や住民の避難計画など、他の事故調では踏み込めない課題にも切り込んだ。また第一原発付近の病院における医療体制、まだ続いている精神科医療の問題にも言及。危機に対応する組織には「リスク」「ガバナンス」「リーダーシップ」の3側面が必須だ、との指摘は特筆すべきである。
 提示されたあまりに根深い問題点を前に一瞬たじろいだが、糸口を探るしかない。(大江秀房)

                          
今、思うこと

 2年ぶりにフクイチの現場に行った。事故原発1〜4号機付近以外は、大型タンクが建ち並び、配管がうねる新しい中型化学工場といった印象だ。今は、溶けたデブリがどのようにどこにあるかを見つけることが当面の廃炉仕事の目標で、点検ロボットが格納容器内に入った段階。この間にも絶えず汚染水が発生するので、その対策もここのもう一つの継続する大仕事だ。どちらも廃炉(=ゴミ処理)に、膨大な費用と人を使い続けている、のは2年前とあまり変わらない。ここまで7年、ずーっと“膨大な無駄使い” ?を続けていると、改めて思う。
 このような事故現場を二度と作らないために、この事故が何故起きたのかを解明、理解するために、3つの事故調が多くの関係者の証言を基にそれぞれ報告書を作った。それぞれいくつかの視点を指摘し、今後の方策も提言している。が、その後、それらの提言はどう実行されたのだろうか? という疑問が残り続けた。また、新たな疑問もいろいろな研究から指摘されてもいる。     
 そうして事故後7年が経過した。今、このインタビューで、国会事故調は、報告書をまとめあげて仕事は終わりと、言い切る。分かったのは、責任を持てる受け手が居ないということだ。この先、さらなる検証・解明は誰がどのようにするのだろうか? それ無しで、事故処理だけが続いていくのか‥。(倉又茂)


インタビューで感じたこと

 政府事故調の畑村委員長は「原因究明には再現実験が必要なのに予算がとってないと言われた。これでは誰も何も言えない」というのだが、政府事故調は最も重要な機関なのだから、政府にもっと要求すればよかったのではないか。
 そのほか「どの報告書を読んでも、自分たちの立場から見えるものしか見ていない」とか「原子炉内のことは分からないから仕方がない」「日本は原発のような巨大技術を動かせる成熟度に達していない」と、質疑がうまくかみ合わず責任転嫁のような言葉が目立った。
国会事故調の黒川委員長は、証人尋問をすべて公開で行った自信からか、報告書がその後の国の政策に生かされたかどうかは「ジャーナリズムの取り組むべき問題ではないか」と切り返してきた。「いまのままでは日本はだめだ。会社や役所にべったりくっついている限り、本当の改革はできないだろう」というのである。
 民間事故調の創設者、船橋洋一氏は、民間ならではの特色を生かして、政府の規制官庁、原子力安全保安院の責任を厳しく追及していた。「事故が起きたとき、現場では経産省も保安院も最初に逃げた。あの時、彼らは一体、何をしたのか」と。(柴田鉄治)


だれが重い課題を背負うのか

 福島原発事故が起きてからすでに8年目に入った。事故前から原発には疑問を抱いていたこともあり、事故当時目の前で進む危機の推移から目を離せなかった。4事故調報告書が発表された直後に始まった、JASTJ有志による検証作業にも夢中になって取り組んだ。 
しかし今、原発事故の経験は残念ながら日本社会のなかで確実に風化が進んでいる。私自身、当時の切羽詰まった気持ちは正直なところ失いかけている。それでも、そんな自分を否定したい気持ちもあって、今回の再検証委員会に参加した。その中で、具体的に自分に何ができるのだろうかと問いつつ、まず各事故調の責任者はいま何を考えているのかを聞きたいと思った。
印象に残ったのは、何人かが「事故調は報告書を出した時点で終わったものだ」という趣旨の話をしたことだ。同時に「その後を見守り検証を続けるのは、あなたたちジャーナリストの役割でもある」と続けた。政府はいま、何事もなかったように原発再稼働を推進しているが、そんな政府を支えているのは、まごうことなき私たち日本国民である。3.11の意味を問い続け、何を学ぶかは、日本社会の、とりわけ私たちに課せられた重い課題である。(高木靱生)


調査委員会と意地悪な質問

 経済界で流行りのものにPCDAサイクルというものがある。雑に言えば、原発の事故調は、このサイクルのC(チェック)の大がかりなものなのであろう。
この点、国政でP(プラン)にあたる立法を担う国会に、「行政府から独立し、国政調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは、我が国の憲政史上初めて」という国会事故調元委員長の黒川清氏の指摘がある。であれば、今回の経験を踏まえ、国会にはCの役割を拡充しより頻繁に活用できるようにしてもらいたい。
 話は全く変わるが、2016年3月、AIが囲碁の名人に4勝1敗で圧勝した。AI開発側はコンピュータ-が人間に勝ったことで祝勝ムードに包まれたに違いない。ところが局後の記者会見で、1敗を指摘して「自動運転の自動車で同じことが起きたらどうするのか?」と、質問をした記者がいたという。
 なんとKYで意地の悪い質問だろう。しかも、ゲームの勝敗と自動車の運転は必ずしも同じではない。しかし、その指摘のインパクトは計り知れず、その後のAI開発にも影響したようである。
 さて、我々の検証委員会も、同じくらい意地悪に質問できていただろうか。(中道徹)


リーダー不在の痛手

 3事故調のインタビュー収録に参加し、話を伺うたびにリーダーの不在を感ぜずにはいられなかった。事故の対応を的確に指示できた人が見当たらないのだ。東電、政府、関係省庁の中で、リーダー的地位にある人物がリーダーシップを発揮しない。というより身に付けていない。どうして彼らが巨大組織の幹部に就けたのか不思議である。
 日本では政治家タイプが出世すると言われる。だが、地位を獲得する能力だけではリーダーの素質に欠ける――。そう原発事故の教訓を汲み取った。人々の生活基盤を根こそぎ奪う過酷事故の様相を見ると、巨大技術を扱う組織は市民の命運を握っている。リーダーに求められるのは、効果的な方針や具体策を即断でき、実行に移せる組織を構築する能力だろう。事故の予防対策に不備を招いたのも、リーダー不在に要因があると思う。
 各インタビュー場面では、リーダーの不在を含む日本特有の組織構造を問題視した。なぜリーダーがいないのだろうか。人材不足なのか? リーダーを育成する概念がないのか? それとも責任回避の悪知恵なのか? いま原発再稼働の動きが強まる中、国中で日本型組織の体質改善に視線を転じるべきだ。再び原発事故を起こさないためにも。(西野博喜)


インタビューを終えて

 国会、政府、民間事故調の責任者は直接話法を避けているが、それぞれ強いオーラを発し改めて2つの警告メッセージを発したと思う。それは、①報告書の提言や課題について、国会・行政・ジャーナリズムでの議論は全く不十分。ごく一部しか実現していない、②猛省・検証・総括無きまま進む日本人と日本文化。さらにキャッチアップ方式の科学技術では事故は再び起こる可能性が高い――というものだ。
 報告書での印象的なキーワード。国会事故調からは、原発事故は「規制の虜」による「人災」「疑いある地震原因説」。政府事故調からは「委員長所感」と放射能“惨事”による「人間の被害」の全容を次世代に伝えることは国家的な責務としたことだ。そして、民間事故調からは「最悪の被害予測」「核セキュリティー」「医療弱者の避難死」があがった。これらも心配だ。
 私たち9人の委員は、未来を見つめ続編に取り組む覚悟でいるが、自戒の念を込めて記しておきたい座右の銘がある。米国国防総省の極秘文書「ペンタゴンペーパー」を巡り、国家とジャーナリズムが戦った末に出された連邦最高裁の判決文の核心部分だ。
「報道機関は、政府に奉仕するのではなく、国民に奉仕するものである」(林勝彦)

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