科学ジャーナリスト塾 第14期(2015年10月〜2016年3月)の記録

第14期科学ジャーナリスト塾を終える 佐藤年緒(塾長)

 2015年10月から始まった第14期科学ジャーナリスト塾は2016年3月9日、全日程を終えた。塾生は19人。期間中に計10回、水曜日夜の時間に、科学ジャーナリズムや科学コミュニケーションについて実践を交えて学んだ。最後まで熱心に通う塾生も多かった。

 今期は「体験を未来に」を主題に、過去の報道の検証をしたり、福島の被災地での報道現場の声を聞いたりした。扱う話題は原発事故だけでなく、航空機事故、南極観測、宇宙開発、温暖化など多彩で、9人の講師のほか文章アドバーザー、サポーターなどの協力を得て、塾生には積極的に文章を書いてもらった。

 実習例として「講師の話を記事にする」「新聞への投書記事を書く」「一つのモノを使って自己紹介する」などしたほか、講師の話の後に塾生同士がグループ討議することで、互いの関心事を知る機会も作った。毎回の提出文の一部は、このようにJASTJホームページの塾コーナーにアップしたのが今回の最大の特徴となった。

 塾は、健全な科学ジャーナリズムの発展のために、会員のボランティア精神で進めている活動だが、今期の成果を生かして2006年度も秋から第15期の塾を開催したいと計画している。第14期の塾を終了するに当たって、塾生の感想・意見の一部を紹介しよう。

〔塾を終えて〕

理系だからこそ、伝えられる面白さ  平清水元宣(塾生)

 私は、この塾に参加して本当に良かったと思います。

”科学”という分野は、突き詰めると非常に多くの分野を横断しています。単純に物理・化学・生物・地学というような捉え方だけではなく、政治・経済・倫理・経営なども背景に考えなければ、”科学”の今後の展望は読めません。塾には多様なバックグラウンドや職業に就いている塾生及び講師の方、アドバイザーの方々がいたおかげで、一つの事象に対して、自分一人では到底思いつきもしない発想や知ることのなかった知識を得ることができました。

 また、塾のテーマの一つに「失敗から学ぶ」というスローガンがありました。塾の内容も比較的に過去の事例をみんなで検証する、という姿勢が強かったように思います。過去に起きた事件や出来事を記録し理解することは、科学記者の大切な役割です。過去の記事は科学技術史となり、科学の進歩の軌跡となります。科学の今を伝える人間にとっては、過去を知らないと今や未来の予測できません。改めて「失敗から学ぶ」ことの意義を感じることができました。

 理系なのに「文章書けるの?」と世間一般ではよく思われるかもしれませんが、理系だからこそ書ける真実や、伝えられる面白さがあるのだと私は思っています。畑は違えど、志の近い方々にお会いできたことも、私にとっては大きな財産でした。

 文章アドバイザーのスタッフの方々及び、ゲスト講師の先生方、誠にありがとうございました。

伝えたいのは「知る喜び」と分かった  大崩貴之(塾生)

 科学を伝える手段はたくさんある。話す、見せる、そして書く。どれを武器として使うかという差はあれど、目指すところは同じである。どの手段で伝えるかはさておき、まずは科学を伝えている先人の話を聞いてみたい――。確たる理想もないまま、漠然と科学コミュニケーションに携わる職へのあこがれを抱き始めた私がこの塾を受講した理由は、陳腐なものだった。

 出発点が低かったこともあり、講座に数回参加した時点ですでに大きな成果があった。それは、上記の考え方の間違いに気付けたことである。確かに科学を伝える手段はたくさんあるが、目指すところも同様にたくさんあるのである。書くという手段でいえば、知る権利に応える科学ジャーナリストと、好奇心を掻き立てるような話題を提供する科学ライターとでは、その目的が異なるというように。

 この違いに気付けたことは、科学を書いて伝える作法を学べたことより、私にとってずっと価値あるものであった。「どのように」科学を伝えるかではなく、「何を」伝えたいのか、自分の目指すところが明確になったのだ。清く正しい知識ではなく、知らないことを知る喜びを、私は伝えたい。  こんなことは本来なら事前に気付いておくべきことで、受講してようやく立つべきスタート地点が見えたといったところだろうか。自分のやりたいことに気付かせてもらったことを塾に感謝しつつ、同時に判明したこれから学ぶべきことの多さに、ただ呆然としている。

科学ジャーナリズムの面白さと「べき」論の違和感  中道徹(塾生)

 塾の最初に北村行孝講師から日航ジャンボ機の御巣鷹山事故の話を聞き、また2月の月例会報告でMRJ(三菱リージョナル旅客機)について書いたので、この塾の間、私は飛行機のことばかり考えることになった。

 実は、現在改正が議論されている我が国の民法は19世紀にできたものなので、飛行機は民法よりも若い。こう考えると、科学技術のダイナミズムや法律の鈍重さが良く分かる。こんなダイナミックな分野の話がつまらないはずはない。最先端の専門用語を分かり易く解説してくれる科学ジャーナリズムが、多くの人の心を捉えるのはこの辺りであろう。

 私も、北村講師や鈴木教授などの著書を数冊読み、飛行機について改めて知り、どうして自分が航空学を志さなかったのか悔むほどだった。それだけ、飛行機やその安全性を支える技術が魅力的に記載されていた。これが科学ジャーナリズムの面白い点だと、私は考える。塾生で議論しても、この辺は楽しかった。

 他方、議論が「べきだ」論になるときは、若干平凡になってしまう気がした。「べきだ」論は、本来、社会科学や人文科学にも及ぶ話なので、その分野での議論の成果を踏まえないとならないはずである。なのに、塾生で議論しても、情に訴える展開となっているように感じられることが時々あった。しかし、素朴な感覚で地動説の説得ができないのと同じで、素朴な「べきだ」論では社会の説得は困難だろう。この点で、科学哲学や正義論と科学ジャーナリズムがどう係わるのかも知りたかった。

 鈴木教授は、月例会で、落ちない飛行機を作るのが究極の目標だと話された。人工知能に及ぶその話しぶりから、単に人道上の要請ではないと感じた。むしろ「べきだ」論を捨象し、このように解そのものも科学技術で示す方が潔いと感じられた。

〔事務局注〕中道さんはJASTJの会員でもありますが、塾生の研鑽の機会として月例会の会報執筆を依頼した経緯があります。