科学ジャーナリスト塾 第14期(2015年10月〜2016年3月)の記録

第6回 「新聞の投稿欄に書いてみよう」

8人の文を添削指導―武部俊一さんら  佐藤年緒(塾長)

 科学ジャーナリスト塾の第6回講義は1月13日、元朝日新聞論説委員の武部俊一さんを講師に文章指導をしていただいた。塾生が新聞に投書することを想定して書いた文章に対する指導である。年末から出した課題だが、提出されたのは8人からだった。

 その内容は、▽STAP細胞の有無論議がネット上で再燃、科学的な見方が大事(大学院生)▽駅トイレの臭い対策の在り方を問う(大学研究者)▽大麻解禁で犯罪率の増えた論拠がはっきりしない新聞記事(医学書編集者)▽学生が研究に見切りをつけざるを得ない現在の研究支援策(大学院生)▽新元素発見、夢を愚直に持ち続けた理研の森田さん(研究所広報)▽危うい日本のモノづくり(大学院生)▽法廷の映像記録を残そう(弁護士)▽旅情を損なう季節外れの商品広告(食品会社勤務)。

 これらの原稿について武部さんは「完成度が高いとは言えず、このままでは載らない」として表現の工夫が要る箇所や言葉づかいの注意点を指導した。記事一つひとつについて塾生も意見を出し合った。塾生の1人は「課題文の添削だけでなく、他の塾生の方々のいろいろな考えも聞くことができ、非常に興味深いものだった」と振り返った。

 塾生の大畑久美子(サントリー食品インターナショナル株式会社食品事業本部)は「武部さんが(新聞投稿の際に)大事なのは、素材・タイミング・レトリックだと締めくくったけれども、不特定多数の読者の関心をつかむために重要なこと。そこが学術論文やビジネス文書との大きな違いであると改めて気づかされました」という。さらに「印象的だったのが、『反論が起こるような文章の書き方もありだ』とコメントしたこと。共感であれ反感であれ、いずれにしても読者の心に刺さり、考察や議論の引き金となることがもっとも重要なのですね」と感想を述べた。

 提出した塾生数は全体の半数以下だったが、「改めてお題に出されてみると、いかに自分が社会に言おうとしていることがないか苦心した」と話す塾生もいた。

 8人の原稿に対する指導は、武部さんのほか、文章アドバイザーの漆原次郎さん、瀧澤美奈子さんもアドバイスを寄せ、執筆者に伝えた。

  
第6回の塾のもよう(撮影:都丸亜希子)

〔塾生の投稿記事から〕

研究を志す学生に支援を  遠藤智之(塾生・大学院生)

 いま「理系」が危うい。次世代の担い手が育つ環境が整っていないと感じるからだ。自分を含め、研究を志していた同期の多くが、博士課程への進学をあきらめて、別の道を選んだ。文部科学省の調査では「望ましい能力を持つ人材が博士課程を目指していない」という研究現場からの認識が示されている。

 待遇にその一因がある。欧米では、研究の担い手として、博士課程の学生に給与を支払うのが一般的だ。日本では、多額の学費と生活費の工面に苦しむひとが多い。国立大学の授業料が上がるという話も聞く。大学が国際化を謳う一方で、学生の懐を国際水準にするつもりはないようだ。

 大学のキャンパスが、入試に臨む高校生で溢れる時期がやってきた。研究の道を志した数年前の自分を思い返す。ただでさえ、研究は茨の道だ。その道を選んだ若者たちを暖かく支援する国であってほしい。このままでは研究人材の枯渇は避けられない。科学技術の発展を担う「新芽」を摘む国に、科学技術立国を唱える資格はない。

法廷の映像記録を残そう  中道徹(塾生・弁護士)

 テレビなどで裁判官や検察官、弁護士が座っている法廷の様子を見ることはあっても、そこに裁判員や被告人の姿はない。

 彼らは、放送用のカメラが引き上げた後に入廷する。誰も彼らを撮影することはなく、映像は一切残らない。弁護士がどのような弁論や尋問をしたのかの記録も、一部音声テープが残るだけで映像としては残らない。手続の円滑な進行やプライバシーなどへの配慮がその理由となっている。

 私は、この当然のように受け容れられている裁判の習慣に少し疑問を抱いている。歴史上、文字を持たない文明が後世において文字を持つ文明ほどの価値を置かれなくなったのと同様、法廷の映像が残らないのは、何か損失をもたらすのではないか、と。

 ネットを中心に大量の映像が溢れ、車載カメラやドローンなどの技術によって今まで見ることができなかった映像を目の当たりにできるようになった現代、文字だけの情報では不十分に感じることが今後益々増えてくるであろう(実は、従前から、文字の記録が残っていても、「雄弁が聴衆に及ぼした効果ということになると、それを実証するものが、後に遺らない」などと言われていた)。

 開廷前のわずかな時間のあの静謐、素早く立ち上がって大きな声でとなえられる弁護人の異議、弁解に首を捻る裁判員の挙動、繰り返しの尋問に憤慨して代理人を睨み付ける証人の様子などは、文字では決して伝えられないものだ。こういう映像が的確に記録されれば、将来、若手法曹の法廷での活動を錬磨するのにも役立つだろう。

 撮影がなければプライバシーの侵害を防ぎやすくなるし、手続もスムーズに進むだろう。しかし、それによって、後世に記録を残すという面が犠牲にならないか。プライバシーの侵害などの懸念を予防した上で、法廷の映像記録を保存することもできるのではないか。我々は、これを考え始める時期に来ている。