科学ジャーナリスト塾 第14期(2015年10月〜2016年3月)の記録

第4回 「南極観測隊に同行取材して学んだこと ―『国家とは何か』『科学の国際協力とは何か』」

 2015年12月2日(水)の科学ジャーナリスト塾では、科学ジャーナリストの柴田鉄治さんが「南極観測隊に同行取材して学んだこと ―『国家とは何か』『科学の国際協力とは何か』」というテーマで話題提供し、塾生たちが議論を深めました。塾生の石川航平による報告記事と、佐藤年緖塾長による補足記事をご覧ください。

科学ジャーナリストが「南極で見たもの」  石川航平(塾生)

 12月2日の科学ジャーナリスト塾の第4回講義では、科学ジャーナリストの柴田鉄治さんによる南極取材の経験談をうかがった。朝日新聞社の科学記者として2度南極観測隊に同行、南極に魅了されて退職後も3回訪れたという。「長年の積雪によって極点の標高は2800メートルにもなる」など、南極の自然や観測の歴史、取材の話をスライドで説明。塾生も初めて聞く世界に驚いた様子だった。

 柴田さんは、国境もなく国を超えて協力し進める南極観測の取材体験から、「国家とは何かを考えざるをえなかった。地球から貧困や紛争、また戦争が生まれることは、あくまで人間が引き起こした人間自身の問題ではないか?」と深い問いを投げ掛けた。

 塾生は熱心に耳を傾け、次々と質問が続いた。ジャンルは国際政治、スポーツや気象など多岐に渡った。印象に残ったのは「ジャーナリズムとして発信する上で事実をどう捉えるべきか?」という質問だった。それに対して柴田さんは記者としての心構えをこう語った。

「取材した事実は書けるものの、国境のない世界が理想の世界だ、といった主張を新聞社に在籍している時は書けなかった。フリーになってからの講演会では何十回と話し続けることで、きっと次の世代が私の意思を受け継いでくれるはずです」

 このほか塾生から「南極に原発があるという事実に衝撃を受けた。環境や国際政治の問題など、社会のテーマに関心が広がった」という感想も聞かれた。

 柴田さんはこう締めくくった。「南極はいかに素晴らしいか、その思いを伝えたかった。いっそのこと国境をなくして“地球国家”という一つの国にすれば良い。『南極は地球の憲法九条だ』ということです」

 最後に柴田さんが作詞をした「南極賛歌」に作曲家の池辺晋一郎氏が曲を付けた混声四部合唱曲『地球の九条もしくは南極賛歌』が合唱団によって歌われている映像が紹介された。

[参考]合唱曲はインターネットで以下の記事を引くと映像とともに聴けます。 朝日新聞デジタル「南極と9条つなぐ平和の賛歌 25日に調布で披露」(2015年1月21日)http://www.asahi.com/articles/ASH1J5VD3H1JUUPI001.html

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第4回の塾のもよう(撮影:都丸亜希子)

南極と柴田鉄治さん  佐藤年緖(塾長)

「中学生のころから科学者になるのが夢だった」という柴田鉄治さん。湯川秀樹博士のノーベル賞受賞のニュースに感動し、自然界の道理を解き明かす仕事に憧れを抱いたという。大学では地球物理学を専攻。壮大な宇宙の謎、そのなかの惑星の一つ、地球の謎に挑んでみようと考えた。柴田さんがなぜ、いまも南極を伝え続けているのだろうか。

▽戦争体験も重なって

柴田さんが大学生だった1956年に、日本の南極観測が始まった。第1次観測隊が帰国した直後の大学の「五月祭」に、「南極観測の展示をやろう」と展示物集めに走り回った。朝日新聞社に写真を借りに行ったのも、その時が初めてだった。

 科学者への夢を捨てて新聞記者になったきっかけは、大学にあるジャーナリズムの研究機関の「新聞研究所」の教育部が公募した学生活動に参加したことだ。新聞社のOBたちの語るエピソードは痛快だった。あの戦争を止められなかったのは戦前の新聞がジャーナリズム精神を失い、「死んでしまったからだ」という真面目な話は、子どものころの学童疎開や東京大空襲の体験などから「二度と戦争はごめんだ」と思っていた柴田さんの心にしみた。

「ジャーナリズムの仕事も面白そうだなと思った。そのうえ新聞社が南極観測を提言し、実現させることもできるのか、という思いが背中を押してくれた」と振り返る。

 記者になって3年目、札幌に勤務していたとき、無人の昭和基地で1年間、奇跡的に生きていたカラフト犬のタロ、ジロのうち、タロが札幌に帰ってきた。観測船「宗谷」も南極での役目を終え、巡視船として北海道に戻ってきた。オホーツク海での流氷調査に乗船して連載記事を書いた。

▽惚れ込んだ「理想の地」

 そんな縁があって、東京の社会部に転勤した1965年、完成した新砕氷船「ふじ」で再開された南極観測(第7次観測隊)の同行記者に選ばれた。30歳のときだった。

 その取材で柴田さんは南極に心底から惚れ込んでしまった。人類にとって「理想の地」だとの思いは、それ以来ずっと抱き続けている。新聞記者生活も終わり、大学での客員教授の仕事も終わって、自由な時間ができたとき、「もう一度、南極へ行こう」と思い立った。そのときは70歳。

 帰国後、「南極の語り部」として南極の素晴らしさ、とくにその平和な姿の伝えようと「南極条約」(1961年発効)を紹介するなど、あちこちで講演活動を続けてきた。あるとき、講演を聴いた友人から「きょうの話を『詩』にできないか」という話が舞い込んできた。出来上がった詩がこの『南極賛歌』だ。

1、 南極は 地球の九条だ 
   国境もない、軍事基地もない
   人類の 理想を実現 平和の地

2、 南極は 素敵な自然の楽園だ
   ペンギンがいる アザラシがいる
   生き物が 共存共栄 豊かな地

3、 南極は 宇宙に開く地球の窓だ
   オーロラがある 隕石がある
   なぞを解き 未来をさぐる 科学の地

4、南極は、地球環境のモニターだ
  氷を掘る オゾンを測る
  力を合わせ 環境守る モデルの地

5、南極は 地球の憲法九条だ
  戦争なくし 人類仲良く
  世界中を 平和に変える 魔法の地

▽合唱曲として、「南極授業」として

 詩は友人を通じて作曲家池辺晋一郎氏に届けられ、ざっと7年が過ぎた2014年春、「実に実に遅くなりました」という手紙とともに池辺氏から混声四部合唱曲の楽譜が届いた。池辺氏は「音楽九条の会」の呼びかけ人でもあり、「世界平和アッピール七人委員会」の委員でもあった。合唱曲名は『地球の九条もしくは南極賛歌』とされたが、南極にも、憲法九条にも「ほれ込んでいる」柴田氏は反対する理由はないという。

 こうして2015年1月25日、調布市グリーンホールで開かれた「池辺晋一郎さんと平和を歌おう」という催しの中で、池辺氏指揮による調布合唱団の合唱が披露された。柴田さんは「それを聴いて私がどれほど感動したことか」と話す。

 そしていま柴田さんは「南極の素晴らしさを子供たちに伝えたい」と次世代を担う子供たちの教育にも関心を向けている。全国の小・中・高校の教員を南極に派遣するプロジェクトをスタートして7年。ネットワークの連絡役を担い、今年の年賀状でも「南極授業を全国の学校に広げていくためにご支援を」と呼び掛けた。


第7次観測隊の際に撮った南極

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2004年に同行取材した際の柴田さん