科学ジャーナリスト塾 第14期(2015年10月〜2016年3月)の記録

会員提供の著書で、体験・証言を学ぶ

 第14期の塾では、当会議(日本科学技術ジャーナリスト会議、JASTJ)の会員が執筆した著書を、教材として大いに活用した。著者からは塾生に無料提供いただくなど、全面的な応援をいただいた。

 歴史を記録することの意義を学ぶ11月4日の塾では、講師の北村行孝さんが自らの著書『日航機事故の謎は解けたか』(花伝社発行)を塾生にあらかじめ配布、読んできてもらっての講義だった。1月13日に武部俊一さんが文章の書き方を指導した際は、JASTJ編さんの『科学ジャーリストの手法 プロから学ぶ七つの仕事術』(化学同人)の中から武部さんの記事の「科学ジャーナリストの文章作法13箇条」を紹介しながら、塾生が書いた原稿に赤字を入れた。

 クリスマスを前にした12月16日、牧野賢治さんから自らの体験を綴った『科学ジャーナリストの半世紀 自分史から見えてきたこと』(化学同人)が塾生にプレゼントされた。著者の半生とともに日本の科学ジャーナリズムの歩みがたどれる本だ。塾事務局からもJASTJが20周年を記念して発行した『科学を伝える 失敗に学ぶ科学ジャーナリズム』(JDC)を提供した。過去の塾で伝えた科学記者の失敗事例などを学んでもらうことが狙いだ。

 ベテラン会員が著作を通じて塾への支援くださるのは有難い。88歳の大ベテラン科学記者の堤佳辰さんからは『原子力報道五十年 科学記者の証言』(エネルギーフォーラム新書)を「塾生に読んでもらって」と提供された。この一冊は、堤さんと同じ新聞社で記者を目指す塾生に読んでもらった。

      
科学ジャーナリスト塾に提供された書籍

堤氏の『原発報道五十年』を読んで  遠藤智之(塾生・筑波大学大学院生命環境科学研究科)

『原子力報道五十年 科学記者の証言』を拝読した。著者の堤佳辰氏から、「ぜひ塾生に」とのことで塾長より私の手元へ。堤氏は1950年から日経記者として、科学技術の取材にあたってきた。メディアの道を歩もうとしている私にとって、まさに「大先輩」である。

 本書では、日本が原子力の平和利用を志してから、現在に至るまでを書いている。日本の原子力開発は、米国が濃縮ウランの供与を決めたことを受け、政府主導で始まった。その後、学界や産業界が加わり、開発が進められ、日本経済を支える基幹エネルギーとなった。

 福島原発事故は、堤氏の退職後に起きた。堤氏は「“想定外の高さ”の津波による浸水で全電源を喪失、緊急冷却システムが機能しなかったことが真因である」とした上で、「津波に耐える原発は既に存在する」という。自然循環で、高温炉心の冷却が続く受動安全炉だと紹介。現用の能動安全炉と比べ、電源喪失や人為ミスに強く、米国では審査中で正式認可が迫っているとのことだ。

 堤氏は、「やめれば安全、なければ安心」という脱原発の思潮を、「資源もエネルギーもないない尽くし、少子高齢化の日本にとって“滅びの道”」「一国のエネルギー政策は単に国民や為政者の“好き嫌い”では決められない」と批判する。合理性、現実性、何より経済性が優先するべきだという。

 日本政府によれば、2030年の電源構成として、再生エネで22~24%、原子力で20~22%、ほかを火力で賄うとしている。もし、この水準を維持するなら、原発の再稼動だけでなく、原発新設の議論も必要となる現実がある。過去の原子力政策の報道に当たった思いやその舞台裏を本音で伝えた大先輩の書に学ぶ点は多い。

 本書を読み、理想で終わらず、現実的な未来への道筋を描く大切さを痛感した。これから記者として、私にもその責任がある。「道は歩いた跡にでき、未来は常に現在の延長線上にある」と堤氏。未来を示す役割を担う者として、過去の足跡を知れたことは、今後の糧となるだろう。(2016年3月提出)