2016年2月24日(水)の科学ジャーナリスト塾では、朝日新聞編集委員の上田俊英さんが「現場でしか見えない原発被災―福島で伝えること」というテーマで講演しました。塾生からの参加してみての記事が寄せられています。ご覧ください。
〔塾生の投稿記事から〕
原発報道と科学記者 〜3.11を教訓に〜 平清水元宣(塾生)
あの日、世界中の人々が被災地を心配していました。
東日本大震災から間もなく、五年が経とうとしています。今も被災地の復興は行われていますが、復興だけすればそれで良いのか。科学報道の在り方や考え方の課題を提起して頂いた第9回の講演となりました。
2月24日、朝日新聞報道局編集委員の上田俊英さんを講師に招き、「3.11の原発問題と報道」をテーマに塾が開かれました。当時の福島の様子の詳細な説明や、大地震がもたらした東京電力福島第一原子力発電所事故の悲惨さを生の声を通して教えてもらいました。
原発事故での放射能汚染による甲状腺ガンの増加を始め、復興の現状、帰宅困難者の数、発生時の避難情報の不十分さなど、多岐にわたる内容でした。充実した講演内容でしたが、それでも上田さんは言います。「福島の”今”を伝えるのは本当に難しい」と。私がお話を聞いて感じたのは、もしかしたら上田さんは一人の科学ジャーナリストとしての志と、新聞社という「組織ジャーナリズム」の重要性との間に強い葛藤も抱えているのではないか、というような印象も受けました。
また、復興現場では急激な人口減少が問題視されていることを知りました。全国的に人口減少が問題とされていますが、福島のそれは比ではありません。人口減少はそのまま人手不足へと直面し、雇用の減少は産業の衰退を意味します。議論の場では、労働力の仙台一極集中などの課題もあるという意見も出されましたが、故郷を離れざるをえない生産年齢人口の流出が問題点ではないか、と私は思います。
この塾のテーマの一つでもある「科学報道とは…?」については、上田さんは「現象を理解し、未来を予測すること」と述べていました。「科学が導くのは確率的な答えであり、明確な答えと確率的な答えは同じではない。微分は変化の割合を表し、積分は変化する未来を予測する。しかし、科学報道には数学的な論理的根拠も必須だが、哲学的な倫理観も必要で、「人の気持ちを含めた報道」を忘れてはいけない」とアドバイスを下さいました。
3月11日は毎年必ず来ます。たった五年の時間にもかかわらず、既に関係ないと思っている人が増えているように私は思います。被災した人が同じ国民に何人もいるという現実を忘れてはいないでしょうか。原子力発電所の要不要ばかりに振り回されてはいないでしょうか。
この経験は後世に語り継ぎ、日本だけでなく震災に直面するであろう世界中の国々で共通認識にすべきだと思います。震災の教訓を記録し、世界に発信することも、科学ジャーナリストの重要な役割なのだと再認識した第9回の塾でした。
話題提供してくださった上田俊英講師、誠にありがとうございました。
第9回塾のようす(撮影:都丸亜希子)