科学ジャーナリスト塾 第14期(2015年10月〜2016年3月)の記録

第7回 「アポロの月着陸を米国に取材して学んだこと ―『地球環境問題の大切さ』と『品質管理技術の大切さ』」

「有限である地球」を初めて実感させた映像―柴田鉄治さんが語ったアポロ報道  都丸亜希子(サポーター)

 柴田鉄治さんの今回の話題は「アポロの月面着陸」。この時の報道が「科学の進歩が人類を幸せにするとは限らない」ことを世界中に認識させたという。残念ながら広島・長崎の原爆によってではなかった。なぜなら原子力でも「軍事利用が悪いのであって、科学技術が悪いのではない」というのが70年代までの一般大衆の思想だったからだという。

 第二次大戦後、米ソはドイツの技術者を奪い合い、軍備拡張の一環として宇宙開発合戦を始めた。57年、ソ連が先に人工衛星を打ち上げ、スプートニクスショックを米国に与えた。対抗してケネディ米大統領は「60年代中に人間を月に到達させる」と宣言した。68年にアポロ8号が月から見た地球の姿を中継し、翌69年にはアポロ11号がついに月に着陸する。「宇宙に浮かぶ、かけがいのないオアシス」の地球を外から人類は見たのだ。

 それまで先進国に個別には公害問題があったものの、その重大性に気が付いていなかった。アポロの運んだ映像によって、初めて「地球の有限性」や科学技術文明の問題に気づいた。69年はユネスコがアースデイ(地球の日)の概念を提起した年。72年には「かけがえのない地球」をキャッチフレーズとしたストックホルム会議が開催され、ローマクラブが「成長の限界」を発表するなど、この時期を境に地球環境問題が盛り上がっていく。

 メディアはアポロ報道で地球環境問題に火をつけたと柴田さんは確信している。この時代を肌で感じた人だからこその洞察である。

  
第6回塾のようす(撮影:都丸亜希子)

歴史的「事実」と時代への想像力 =柴田鉄治講師の取材話を塾生と聞いて=  佐藤年緒(塾長)

 1969年7月、アポロ11号の月面着陸を米国で取材報道した柴田鉄治さんの体験談を、世代が異なる塾生が聞く面白さがその日のテーマにあった。もう46年前の話なので、塾生の半分以上は生まれる以前の話、「歴史」の話である。元木さんが書いているように、テレビの映像で見たことがある、学校で習ったことがあるというメディアを通じた情報や伝聞なのである。

 宇宙に浮く地球の写真は、いまでは教科書だけでなく至る所で見る。それだけに「当たり前」の地球の姿だが、50年近く前にその姿を初めて見た際の当時の人々の感動を現代の人がどこまで想像できるのか―そんなことを問う話題提供でもあった。

「地球が丸いことが証明できるのか?」という科学史上の論争も、アポロからの写真を見れば忘れてしまいそうな、映像にはそんな怖さもある。「本当は月面に着陸なんかしていない。テレビの映像のトリックだ」と「陰謀説」を取り上げたテレビ番組が米国と日本で放送されたこともあって、それを信じた若者がいることを柴田さんは大変気にしていた。歴史的な事実を当時の時代状況とともに想像する力が試されるのだろう。サポーターの都丸さんの記事も時代の背景を意識している。

 それにしても、月面に初めて降り立ったアームストリング船長が発したとされる「一人の人間にとって小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」という第一声は、米国の取材現場には伝わってこなかったと柴田さんは言う。東京の本社が米国の通信社を通じて得た情報だったとのこと。あらかじめ月に降り立った際に使う予定稿が通信社に渡されていたのではないか、本当に月面で発したのかと柴田さんは疑っているところが面白い。

 私ごとだが、アポロ月面着陸の1969年の夏、私は浪人生だった。予備校のあったお茶の水界隈は大学が封鎖中で、学生による路上での投石が繰り返されていた。当時の私には月面着陸のニュースは何かよそ事のように響いた。アポロ打ち上げ寸前にケネディー宇宙基地に集まった黒人たちのデモ隊が「宇宙より地上の飢えを!」と叫んでいた動きを目撃し、特ダネにしたという柴田さん。当時、その社会面記事を読んでいたら、あすへの不安を拭えぬ私も共感しただろうが、残念ながら読み落としていた。

柴田さんが“抜かれた記事”にわくわく  元木香織(塾生・大学院生)

 初めての月面着陸は1969年。そのころ私は産まれていなかった。しかし、いつどこでどのように知ったのか覚えていないが、月面着陸時の写真やアポロという名前、宇宙飛行士の名前を知っている。

 1月27日の柴田講師の講義では、当時の取材の手法を切り口に、日本とアメリカの取り組み方の違いや、月面着陸成功の鍵を教えていただいた。また、地球がきれいな青色だったことが判明した途端に、地球上の人が環境問題を積極的に提起するようになった、という時代の流れの分析結果は面白かった。

 とても印象に残ったのは、最後にお話された他の新聞社に“抜かれた記事”のこと。それはどこかで借りた宇宙服を着てみた体験を記事にした特ダネだった。その記者さんは、一足早くアツい情報をキャッチして企画したのだ。いま私が聞いても面白い!と思う。さまざまな切り口と斬新な企画でいくらでも面白い記事になるのだと分かり、書く仕事にわくわくした。

 次の講義も楽しみである。しかしながら、私はこれから一ヶ月間の研究航海に出発する。塾を休むことになるが、目一杯、私の大好きな研究を楽しみたい。行ってきます!(1月31日、地球深部探査船「ちきゅう」でのインド沿岸調査航海出航を前に。筆者は横浜国大大学院環境情報学府修士課程1年)